Jordan, Plestine

Jordan

ヨルダン国のアンマンへ行く機会を得た。イラク復興緊急支援プロジェクトの送電系統の担当である。当時のイラク国内の情勢により,イラク国内での現地調査が困難なためにイラク側の関係者にヨルダンに来て貰い,既設設備の現状,等電力設備に関する情報を面談によって収集した。
業務はさることながら,特に感銘を受けたのは,イラクにおける家族生活の状況を知ることができ,自分の幼かった頃の状況と酷似していることを知り,懐かしくもありありまた親近感を覚えた。イラクの関係者曰く,日本は家族に関する文化を捨ててしまった。この言葉には心が痛んだ。
後年,パレスチナのヨルダン川西岸へ行く機会もあり,両国間にまたがる死海 (Dead Sea)へは双方から訪れることができた。


Jordan記事一覧

2005-04-01(Fri)本日よりヨルダンは夏時間となり,日本との時差は6時間となった。また,ヨルダンでは金,土が休日である。12:00 ホテル発,死?(Dead Sea) へ行くとの連絡があり,当方も参加することにした。この短い滞在期間でこのような機会があるとは予想もしていなかった。泳がなくても,死?を見るだけでいいと思い,参加することにした。2005-04-01 (Sat)Amman - ...

2005-04-29(Fri)Amman - Bangkok : RJ-182Bangkok - Narita : JAL-718本日,アンマンを発って帰国するが,深夜便のために時間的な余裕ができたためにJerashへ行くことになった。今回の渡航では,ヨルダンでの名所旧跡へ行くことなど予想していなかったので,何の知識もなくついて行った。そして,写真を撮ったのみである。そんなこともあり,帰国時のアン...

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